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新年、明けましておめでとうございます。
今年もクロスポイントをよろしくお願い申しあげます。
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2006年は「ストーカー」「いじめ」「自殺」という言葉をよく耳にする年でした。
「いじめ」も「ストーカー」も、心のない一方的なコミュニケーションです。
相手がどう感じているかを考える「想像力」がない無意識な状態であり、もっと言えば、善悪の判断のない、自分自身とのコミュニケーションさえ取れていない状態です。
「自殺」は、自分のことしか考えられない究極の状態。その場から逃げ出したい状態。
自分が生まれてきた意味を知る、人から期待される、自分の役割を考えられるときには、生きる力が沸いて出てくるといいます。(昨年、野球を引退された新庄選手のように・・・)誰かに対して、よい影響をあげられるパワーを生み出したいものです。
子どもには、その小さな社会の中で学ぶことがたくさんあります。楽しいことばかりではなく、悲しいこと、辛いこと、悔しいこと、我慢することも。そして、自分以外の人と一緒に過すには、助け合う、思い合うなど、覚えなくてはならない『通過儀礼』がたくさんあ
ります。最近、この大切なことを、大人が教えなくなってしまったように思うのです。
嫌なことやうまくいかないことがあったときこそ、自分の未熟さに気づき、反省し成長できるチャンスであるのに、いやなことは聞かないよう、見ないようにしてその場から離れ忘れていく。一般に若い人を見ていると、短期間のうちに友達を次々と変えていく、その場限りの付き合い方が多いと感じます。これでは深く理解しあえる友達、人間関係を持つことはできません。場面や時間を共有できる、泥臭くてもいいからじっくりと心を通わせる時間を持ち、しっかりとした「丁寧な人間関係の構築」が必要だと考えます。
短大のころの私は、自分の行動を父に理解されずにもどかしさを感じて、よくぶつかり合いました。自分の気持ちを言葉でうまく表現できなくて、よく泣きながら何時間も父と話をしました。今振り返ると、その時は辛かったけれど、心を通い合わせるための大切な時間であったと思えます。
親に反抗して家に寄り付かない子どもたち。話をしても出てくる言葉は「ウザイ」「ダサイ」「キモイ」であり、この言葉の持つ意味さえ考えずに、相手に向かって
はき捨てる。一方、大人も子どもを育てるという本来の役割を忘れて、きちんと受け止めきれず、向き合わずにあきらめて
いるように思います。(「上司と部下の関係」も同じかも。)
現在私は、母校の同窓会の理事をしています。
学んだ「年齢」「内容」「場所」などは違っても、同窓であることから理解し合えて、親しくお付き合いをしている魅力的な先輩が全国にいます。
この先輩方は社会での活躍も素晴らしく、お忙しい方ほどバイタリティに溢れています。
初めのころは忙しいことを理由に、理事の仕事を断りたいと思い距離をおいていたのですが、今ではこの仕事を私自身のライフワークとして、喜びとして、先輩方と時空を越えた「丁寧なお付き合い」をさせていただいています。
「人から与えられる」「何かをしてもらう」ことばかりを考えずに、自分は「人に対して何ができるか」を考え
て過ごしたいものです。社会の中で、また家族のために働くことや愛を届けることは、自分を大切にすることに他なりません。
そのうえ、善い行いや人の役に立つことは、自分の魂に「徳を積む」ことにもなります。
日々の生活の中で、自分を磨き続けたいですね。
今年も丁寧な人間関係をとおして「人もち」になれるよう心がけたいと思います。
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